福岡地方裁判所 昭和36年(わ)433号 判決 1964年7月07日
被告人 宮川睦男 外四名
主文
被告人宮川睦男、同木村正隆、同野口一馬、同蛯谷武弘を各懲役八月に、
被告人渋谷勲を懲役二月に処する。
但し、被告人全員に対し、いずれも一年間右各刑の執行を猶予する。
訴訟費用中証人渡辺芳達、同宇土薫、同江頭助八に支給した分の二分の一及び証人高木忠一、同森崎元男、同塚本俊明に支給した分は被告人渋谷勲の負担とし、各証人に支給したその余の分は被告人宮川睦男、同木村正隆、同野口一馬、同蛯谷武弘の連帯負担とする。
理由
第一三池争議の経緯
(一) 三井鉱山株式会社(以下単に会社と称す)は九州に三池、田川、山野、北海道に砂川、芦別、美唄の各鉱業所を有し、なかでも三池鉱業所は右六山中最大の炭鉱であつて三川鉱、宮浦鉱、四山鉱よりなり昭和三四年当時鉱員一万数千名を擁して右鉱員は三池炭鉱労働組合(以下単に三池労組と称す)を結成し、前示鉱業所毎に作られた各労働組合とともに全国三井炭鉱労働組合連合会(以下単に三鉱連と称す)を組織するほか、単組として日本炭鉱労働組合(以下単に炭労と称す)に加盟していた。
(二) 会社は営業不振を理由として、昭和三四年一月一九日三鉱連に対し約六〇〇〇名の人員削減を含む第一次合理化案を提示し企業再建に協力を求める団体交渉を行つた結果、希望退職方式による人員整理をなすことで妥結したのでこれを実施したところ、その応募者は僅かに約一三〇〇名に過ぎなかつた。そこで、会社は更に同年八月二八日約四五八〇名の人員削減と賃金切下等を骨子とした第二次合理化案を三鉱連に提示して数次の団体交渉を重ねたが、三池労組に対する約二二〇〇名の人員削減が容れられず同年一〇月八日交渉は決裂したのである。そして、会社は同年一〇月一二日一方的に三池労組に対し約二二〇〇名の希望退職募集を開始したが同労組の反対に遭つて所期の応募数を得られず、次いで三鉱連との間に開かれた団体交渉も決裂し、更に中央労働委員会が提示した斡旋案も同年一一月二五日労使双方において拒否することとなつたのである。かくて、会社は所定の人員削減が会社再建に不可欠の要素であるとして同年一二月初頃三池労組員約一四七〇名に指名退職勧告書を送付し、次いで同月一〇日頃右勧告に応じなかつた約一二〇〇名に対し指名解雇通告書を送付して指名解雇を強行した上、解雇に伴う人員の配置転換の団体交渉を申入れたところ、一方、三池労組は右指名解雇を以て組合を弱体化し組合運動を崩壊に導くものとして絶対反対の態度を堅持して右通告書を会社に一括返上し、また人員の配置転換を拒否して団体交渉は昭和三五年一月七日決裂したのである。そこで、会社はこれまで同労組が繰返して来た時限ストライキと右配置転換拒否に対処するため、同月二五日三池港務所を除く三池鉱業所の全作業場にロツクアウトを実施し、同労組もこれに対抗して即日無期限の全面ストライキに突入したのである。
(三) かくして、争議は一段と深刻化し日を追つて激化する一方長期化の様相を呈するにいたつたところ、三池労組の内部においてその強力な斗争方針に対する批判勢力が生れ、同年三月一七日同労組は遂に分裂して右批判分子約三〇〇〇名を構成員とした三池炭鉱新労働組合(以下単に新労組と称す)が結成され、新労組は同月二四日より会社と団体交渉を重ね前示第二次合理化案の大綱を諒承して生産再開に協力する協定を結び早急に就労することを取り決めたのである。一方、三池労組はこれに対応して同月一八日以来スト態勢を一段と強化し、新労組の就労に対しては強力なピケを以て対処することとしたのである。かくて、新労組は同月二八日三川鉱、宮浦鉱において強行就労を試み、これを阻止せんとする三池労組のピケ隊員との間に激しい紛争を生じ、殊に、三川鉱仮東門附近においては双方多数の負傷者を出す乱斗事件を展開したのである。
(四) そして、会社は同月二八日三池労組の三池鉱業所各構内への立入禁止等の仮処分決定を執行し、また新労組員は同年四月一八日三川鉱へ、同月二〇日宮浦鉱へと強行就労したが、会社は生産再開を確保するため同年六月四日頃三池港務所のロツクアウトを通告し、次いで七月七日三池労組員の右港務所ホツポー周辺の立入禁止等を命ずる仮処分決定を得てその執行を強行しようとしたのである。
(五) 他面、これまで三池労組と共に争議を推進して来た炭労は中央労働委員会が提示した斡旋案を実質的に一二〇〇名の指名解雇を容認するものとして同年四月一七日拒否し、同日炭労、三池労組、日本労働組合総評議会(以下単に総評と称す)を構成員とした三池争議現地対策委員会が組織され、右三者が一体となつて争議を推進することとなつて三池争議は一段と拡大強化されるにいたつたのである。かくて、炭労を中心とした多数の各種支援労組員は続々現地に集結してその数は一万名を超え、また多数の警察官が治安維持のため派遣されて約一万名に達し、情勢は日々緊迫の度を加え深刻化したのである。ここにおいて、時の政府も事態を憂慮して労使双方に争議の早期解決を勧告するとともに、中央労働委員会に対してこれが解決の斡旋方を勧告し、同委員会より一二〇〇名の退職を骨子とした斡旋案が提示されて同年八月一〇日双方これを受諾し、かくて、さしも大規模にして深刻且つ激烈を極め幾多の不祥事を誘発した三池争議も漸くその幕を閉じるにいたつたのである。
第二本件事案発端の経緯
(一) 従来、会社は坑内作業用資材として必要な坑木等の大部分を海上輸送により浜、三川の両坑木土場において発註先の業者から引渡を受け、宮浦、三川の各鉱に搬入して来たが、新労組員の強行就労に伴い陸上における三池労組のピケが強化されて各坑木土場からの搬入が困難となつたため、同年四月末頃以来海上輸送により宮浦鉱南新開竪坑西岸壁において業者から資材の陸揚げ引渡しを受けた上、これを坑内に搬入することとなつたところ、一方、三池労組はこれに対抗して同年五月中旬頃より同所附近海上に船舶を浮べてピケを張り海上よりの資材搬入を阻まんとするにいたつたのである。かくて、同年五月一四日と六月一四日の二回に亘り右岸壁附近において会社の発註を受けた業者が輸送して来た坑木等を陸揚げするに際し、三池労組の海上ピケ隊から投石され或は坑木船を沖合に曳戻される等して妨害を受ける事件が発生したのである。
(二) しかし、新労組員の強行就労により生産の増強を急ぐ会社はこれに要する坑木等資材の入手に迫られたので、同年六月末頃広島県の坑木商三鉱坑木、和光産業、中外木材の各会社より坑木約二〇〇〇本を買いつけて売主がチヤーターした機帆船昭福丸を以て、また熊本県天草の坑木商阿比留虎夫より坑木約九〇〇〇本を買いつけて同人のチヤーターした機帆船蛭子丸と万栄丸を以ていずれも右各坑木商自らの輸送により宮浦鉱南新開竪坑西岸壁において陸揚げ引渡しを受ける計画を樹てたが、従来の経過に徴し三池労組の海上ピケ隊に阻まれることを考慮してこれに対処する方策を講じたのである。
(三) かくて、同年七月六日までに業者側の右坑木船昭福丸、蛭子丸、万栄丸の三隻と会社側の雑貨等を積載した貨物船大黒丸及びこれらの船舶を護衛する会社の警備船東丸、大島丸、運輸丸、康洋丸、旭丸(各警備船に新労組員二十数名宛乗船)並びに阿比留虎夫においてチヤーターした警備船松栄丸、住吉丸の合計一一隻の機帆船が長崎県島原港に集結し、三池鉱業所資材課長渡辺芳達の乗船する東丸を総指揮船として輸送船団を結成した上、翌七日午前二時半頃右東丸を先頭に同港を発進して有明海を北上し、同日午前六時過頃南新開竪坑西岸壁西方海上に達して三池労組のピケ船を発見するや、後続の坑木船と貨物船四隻を一列横隊に並べその両翌に警備船を配して岸壁に向つて前進したのである。そして、当時南新開竪坑には会社の職員、鉱員二百数十名が資材受取のため集合しており、また右岸壁には県警察機動隊員数百名が万一の事態に備え一列に並んで警備の任についていたのである。
(四) 一方、三池労組は会社側の海上よりの資材搬入を探知し同年五月中旬頃から海上ピケを実施するにいたり、その総括責任者であつた三池労組書記次長浦池清一の下に同労組執行委員中田義信を配して海上ピケ全般を担当させて来たところ、七月当初におけるピケ用船舶としては三池港に寺中執行委員配下の機帆船第二日吉丸、第七杵島丸、建寿丸の三隻と大牟田港に蓮尾福己配下の機帆船勢福丸、観瀬丸、大利丸、第二栄寿丸の四隻を碇泊させていたが、同月六日従来より遙かに大がかりな会社の前記輸送船団による資材搬入の情報に接したので、南新開竪坑岸壁に沿い多数の船舶を配してピケを張り右資材搬入を阻止する計画を樹てたが手持の機帆船七隻では不足したため、急遽住之江機帆船組合に機帆船二〇隻の提供方を依頼して漸く八隻(住吉丸、第二勇勢丸、神徳丸、栄福丸、末福丸、吉栄丸、長栄丸、天祐丸)の配船を受け、かくて合計一五隻の機帆船を以てピケ船団を組織し、各船に三池労組員とその支援者等二、三十名宛分乗して同月七日午前四時半頃前記西岸壁附近海上に集結し、内七隻は陸揚地点と目されるクレーン附近の岸壁前面海上に停泊し、八隻は附近海面を遊弋してピケを張り会社側輸送船団の到着を待ち受けていたのである。
第三罪となるべき事実
被告人宮川睦男は三池労組の組合長、被告人木村正隆は同労組の四山支部長、被告人野口一馬は炭労の副委員長、被告人蛯谷武弘は総評の事務局次長(当時)、被告人渋谷勲は三池労組の組合員であつたが、昭和三五年四月一七日大牟田市不知火町二丁目の三池労組本部に炭労、総評、三池労組の三者を構成員とした三池争議現地対策委員会が組織されるや、被告人野口は右委員会の委員長代理、被告人蛯谷、同宮川はその副委員長となり、いずれも現地における争議の最高責任者として争議全般の企画、立案、指揮、指導の任務を掌握していたものであるところ、
(一) 被告人宮川、同木村、同野口、同蛯谷は会社が七月七日資材を積載した機帆船昭福丸、蛭子丸、万栄丸及び大黒丸に多数の警備船を配して宮浦鉱南新開竪坑西岸壁に入港し資材を陸揚せんと計画している報告に接するや、右資材船が岸壁に接近するのを阻止するため同日早朝被告人宮川、同木村、同野口は機帆船第二日吉丸に、被告人蛯谷は機帆船勢福丸に三池労組員等と乗船し、同労組員等が二、三十名宛分乗している機帆船第七杵島丸、住吉丸外九隻と共に右岸壁に沿う海面に赴いた上ピケを張つて会社側の前記資材輸送船団の到着を待ち受けていたが、同日午前六時半頃同船団が到着して接岸しようとする情勢を見るや威力を用いてその接岸を妨害しようと企て、右被告人四名は第二日吉丸船長江頭幸太郎、勢福丸船長前田勝己、第七杵島丸船長田中初男、住吉丸船員白浜初次及び組合側の各機帆船に乗船中の三池労組員、その支援者並びに船員合計数百名と共謀の上、
(1) 午前六時三〇分頃、前田勝己が操舵する勢福丸を、岸壁に向つて航行中の坑木船昭福丸の右舷前方至近距離より同船の進路内に進入させてその右舷に接舷させ、勢福丸に乗船中の者において昭福丸にロープを投げかけ以て同船の航行を妨げ、更に同船が岸壁に接岸するや、江頭幸太郎が操舵する第二日吉丸を後進運転して昭福丸と岸壁との間に強いて割り込ませ、同船を岸壁より押離して大牟田川口附近まで押戻し、よつて昭福丸船長池尾保をして積荷陸揚げのため同船を接岸することを不能ならしめ、
(2) その頃、前田勝己が操舵する勢福丸を、岸壁に向つて航行中の坑木船蛭子丸の右舷に接舷させ、勢福丸に乗船中の者において蛭子丸のマストにロープを掛けてその航行を妨げ同船がこれを振り放して前進し岸壁に接岸せんとするや、田中初男が操舵する第七杵島丸を蛭子丸と岸壁との間に割り込ませて接舷し、第七杵島丸に乗船中の者において同船と蛭子丸船尾とをロープを以て連繋した上、田中初男が第七杵島丸を運転して蛭子丸を数百米沖合に曳航し、以て同船船長福島美徳をして積荷陸揚のため同船を接岸することを不能ならしめ、
(3) その頃、白浜初次が操舵する住吉丸を、岸壁に向つて航行中の坑木船万栄丸の進路内にその右舷前方より進入させて同船の航行を妨げ、住吉丸を同船の右舷に接舷させ、住吉丸に乗船中の者において同船と万栄丸船首の柱をロープを以て連繋し、白浜初次が住吉丸を運転して万栄丸を四〇〇米余離れた大牟田川右岸の三池労組ピケ小屋附近まで曳航し、よつて万栄丸船長川上隆興をして積荷陸揚のため同船を接岸することを不能ならしめ、
以てそれぞれ威力を用い右各資材船の船長池尾保、福島美徳及び川上隆興の海上運送業務を妨害し、
(二) 被告人渋谷勲は同日右海面において三池労組がピケを張り会社側船舶の資材搬入を阻止した際、機帆船観瀬丸に乗船してこれに参加していたところ、同日午前七時過頃同海上において同船と会社側警備船東丸が接触した際、船長東野繁の看守する同船内に乱入し、同船司令室において三池労組員二名と共同して海員組合幹部宇土薫(当五四年)及び三池鉱業所資材課長渡辺芳達(当四六年)に棍棒を以て殴りかかり、宇土に対し治療約三日を要する顔面打撲傷を、また渡辺が持つていた木製楯を打ち割りその破片により同人に対し治療約一〇日を要する左前胸部挫傷を負わせ
たものである。
第四証拠の標目(略)
第五弁護人及び被告人等の主張に対する判断
(一) 弁護人は、被告人宮川、同木村、同野口、同蛯谷はいずれも単に海上ピケの状況を見物に行つたもので、本件の共謀共同正犯者ではないと主張する。
そこでこの点につき検討するに、判示第三の(一)の事実に引用した各証拠によれば次の各事実が認められ、これに基く判断は次のとおりである。
昭和三五年一月二五日会社のロツクアウトと三池労組の全面ストライキが激突するにいたつて三池争議が新段階にはいつた頃、被告人宮川は同労組の組合長として、被告人野口は炭労の副委員長として右争議を指導し、被告人蛯谷は総評事務局次長として争議を支援して来たのであるが、同年四月一七日炭労、総評、三池労組の三者一体とした三池争議現地対策委員会が組織されるや、被告人野口は同委員会の委員長代理、被告人蛯谷、同宮川はその副委員長となり、いずれも現地における争議の最高指導責任者として争議全般の企画、立案、指揮、指尊の任務を掌握し、会社の海上における人員、資材の搬入に対しては船舶を用いてピケを張る基本原則を決定してその旨を海上ピケの総括責任者蒲池清一、中田義信に指令し、同人等は該指令に基き各場合の具体的状況に即応して部下の三池労組員に指示し海上ピケを実施して来たものであり、七月七日の宮浦鉱南新開竪坑西岸壁前面海上における本件ピケもまたその例に漏れないものであつた。従つて、本件海上ピケは畢竟するところ、争議の最高指導責任者である右被告人三名の指令に原由して実施されたものというべく、しかも同被告人三名は従来にない大がかりな会社側の資材輸送船団の来航に対し三池労組の大規模な海上ピケが実施される報告に接したので、三名共にピケ船に乗船して現地海面に赴いたものである。かか事実に徴すれば、右被告人三名が部下の組合員に誘われるまま単に後日の参考資料に供するため、図らずも思い思い乗船して本件ピケの状況を見物に行つたという同被告人等の弁疏はたやすく採用し難く、寧ろ同被告人等は自己が発した最高指令に基き部下組合員等により実施され、しかもこれまでにその例を見ない大規模な海上ピケの状況を最高指導責任者の立場において具さに観察し監督し、因つて以て該ピケをして可及的実効を挙げさせる目的の下に三名相図つてピケ船に乗船し現地に赴いたものと断ずるのが相当であり、このことは被告人宮川が当日早朝西岸壁附近海上において第二日吉丸に乗り移る前、チヤツカー船に乗り附近のピケ船六隻を順次廻航して乗組員の拍手に応答したことによつても裏書きされている。
ところで、被告人木村は争議対策委員会には直接参画していないが、三池労組の四山支部長として争議における重要な地位にあつたもので、当日同委員会委員長代理被告人野口及び副委員長被告人宮川と共に第二日吉丸に乗船し、ピケ船が会社側資材船の接岸を阻止しようとして混乱を生じた際、マイクと指揮棒を持つて第二日吉丸の最高部である操舵室屋根の上に立ち始終ピケ船の全般的指揮を採つていたことが認められるから、同被告人は被告人野口、同宮川からピケ船団の指揮を指示一任され、これが指揮のため乗船したものといわねばならない。尤も、海上ピケ全般の具体的実施とその指揮については従来争議対策委員会がこれを蒲池清一、中田義信に一任していたものではあるが、それはそれとしてまた、その最高責任者の地位にある被告人野口、同宮川、同蛯谷が自ら海上ピケの現場に臨んだ上、部下組合員の実施するピケの陣頭指揮に当り、或は一時他の者にその指揮を委ねることは臨機応変の措置として当然最高権者の自由になし得るものというべく、毫も異とするに足りないところである。
そして、被告人野口は当日第二日吉丸の甲板上に立ち被告人木村の近くにあつて終始ピケ船が会社側資材船の接岸を阻止せんとする混乱の状況を注視し観察していたものであり、仮令、自ら指揮する言動に出でなかつたとしても、また、被告人宮川は右混乱の際第二日吉丸に乗船していたものであり、仮令、その間船室内にあつて甲板上に姿を現わさなかつたとしても、右両名は当日一緒に第二日吉丸に乗船していた被告人木村に対しピケ船の指揮一切を指示一任し、同被告人をしてその指揮に当らしめたものであるから、右両名が自ら直接指揮を採らなかつたからといつて最高責任者として指揮した刑責は免れないものといわねばならない。
なおまた、被告人蛯谷がピケ船勢福丸に乗船して、ピケ船が会社側資材船の接岸を阻止せんとして混乱を生じた際、マイクと指揮棒を持つて勢福丸の最高部である操舵室屋根の上に立ちピケ船の指揮に当つていたことも否み得ないところである。
そうだとすれば、被告人野口、同宮川、同蛯谷は争議の最高指導責任者として、また被告人木村は右被告人等から当日におけるピケ船団の指揮を指示一任された指揮者として、いずれもその指令に由来する本件海上ピケを可及的実効あらしめるため乗船して現地に臨みピケ良の指揮に当つたものであり、上は右被告人四名を頂点とし、下は多数のピケ船に乗船していた組合員、船員等にいたるまで直接間接に意思相通じ全員一体となつて海上ピケの実施に当り会社側資材船等の航行接岸を阻止せんとしたものといわねばならない。
しかも、被告人野口、同宮川は二日前の七月五日同じ南新開竪坑西岸壁海上において組合側ピケ船が会社側資材船の接岸を阻止せんとして双方より投石したことを目撃しており、このことは同被告人等と三位一体の関係にある被告人蛯谷にも連絡されていたものというべく、また被告人木村は七月初頃第二日吉丸に乗船し右西岸壁附近海上においてピケ船を以て会社船を阻止する演習に参加した事実があるのみならず、当日被告人等四名が乗船した第二日吉丸や勢福丸を初めとし多数のピケ船には小石が沢山積み込まれており、乗船している労組員等は覆面し棍棒や小石を入れた袋を持つた者が相当多数見受けられたのであるから、右被告人等は当日の海上ピケにおいて会社側船舶を阻止する際これらの者による投石その他不法な威力の行使がなされることを察知していたものというべく、なおまた、当日会社側船団が接近し接岸せんとするや、被告人等自ら乗船していた第二日吉丸や勢福丸その他のピケ船から投石がなされ(勿論会社側警備船からも投石されているが)、更に第二日吉丸は木村の指揮により接岸している会社側資材船昭福丸と岸壁との間に強いて割り込み同船を押し出して押し戻して行き、また勢福丸は被告人蛯谷の指揮下において岸壁に向つて航行中の右昭福丸や会社側資材船蛭子丸にロープを掛けて航行を妨害する等不法な威力を行使したものであるから、これらの各事実に徴すれば、当日組合側ピケ船が会社側船舶の接岸を阻止する方法は平和的説得の限度を超えて前叙の如き方法による威力の行使に及ぶことにつき、被告人等四名を初めピケ船に乗船中の労組員、船員等にいたるまで予めこれを察知し容認した上、全員一致共同し互に意思を相通じ前示の如き方法により会社側資材船の接岸阻止に当つたものと断ずるのが相当であり、さればこそまた、右海上における混乱終了後被告人等の乗船した第二日吉丸を先頭にして各ピケ船が船団を組んで引きあげた上、喜多川旅館において第二日吉丸船長江頭幸太郎を始めピケ船の船長十数名に対し酒食の饗応をしてその労をねぎらい、被告人野口、同宮川はその席上一同に対し「御苦労であつた」と謝辞を述べているのである。
なおまた、前示の如き不法な威力を行使した妨害は西岸壁南端附近に限定された狭い海面において、しかも短時間内に相前後して行われたものであるのみならず、被告人四名は海上ピケに当つた全員と互に犯意を相通じていたこと前叙のとおりであるから、同被告人等は自己が乗船していない第七杵島丸や住吉丸の判示の如きロープによる曳航等につき共謀による共同正犯者としてその責に任ずべきは勿論である。
以上のとおりであるから、被告人等四名は会社側資材船に対しピケ船が判示、(1)、(2)、(3)の如き威力を用いてその運送を妨害したことにつき、相互に犯意を相通じたものであるのみならず、本件海上ピケに参加した労組員及びその支援者並びに船員等とも直接間接に犯意を相通じたものとして、共謀共同正犯としての責任を免れないものといわねばならない。
(二) 弁護人及び被告人等は、第二組合(新労組)は争議中三池労組から脱落した者を以て、しかも会社の支配介入により結成されたもので、その就労は法の保護を受け得ないものであるから、三池労組はその就労を最も強力なピケを以て阻止し得るものというべきところ、本件坑木資材の輸送は形式的には第三者である輸送業者によりなされたものであるが、右輸送は第二組合のスト破り作業を直接支援するものでスト破り就労のため新規に雇入れられるスキヤツプと同様の役割を演ずるものであるのみならず、輸送業者と会社及び第二組合員が結託して行つた共同行為であるから、これに対しては最も強力な実力的ピケを以て阻止し得るものであり、従つて、三池労組が右資材船の接岸を本件の如き方法を以て阻止したことは正当な団結権の行使として容認さるべきものであると主張する。
そこでこの点につき検討するに、新労組は昭和三五年一月二五日会社の全作業場ロツクアウトに対抗して三池労組が無期限全面ストライキに突入して以来、三池労組の内部に生れたその強力な斗争方針に対する批判分子約三〇〇〇名により同年三月一七日結成されたものではあるが、その成立が会社の支配介入によるものと断定すべき確証は存在しない。従つて、本件の如く新労組が専ら生活権を擁護するため会社と協定を結んで就労するの自由を有することはこれを否定し得ないものと解すべきであり、また、右就労が一切法律の保護を受け得ないものとすることも過言の譏を免れない。しかしまた、新労組は争議中三池労組より分裂して成立したものであるから、該争議継続中においてはその就労に対し三池労組の団結権による相当強力なピケによりこれが中止の説得を受ける立場にあることは否み得ないところである。しかし、そうだとしても右ピケによる説得が暴行、脅迫もしくは威力の行使に亘ることは一般的に違法と解すべきこと勿論である。
ところで、本件坑木はその陸揚を受けた会社において新労組員の就労に供するものであるが、会社は争議中と雖も経営権を行使して操業する自由を有し、従つてこれに要する資材の買受けにも掣肘を受くべきいわれのないものというべく、また第三者は争議中であつても会社との従来の取引を避止すべき義務はなく、これまた営業の自由に属するものというべきところ、第五二回公判調書中証人渡辺芳達の、第五四回公判調書中証人上田節男、同阿比留虎夫の各供述記載によれば、坑木商は会社との間の多年に亘る取引と慣行に従い会社の発註を受けて売渡した本件坑木を自らチヤーターした昭福丸、蛭子丸、万栄丸に積載して輸送したものにして、専ら会社と多年継続して来た取引擁護の目的に出でたものであり、特に新労組の就労を援助するとか、三池労組のストライキを妨害するが如き意図を有しなかつたことが認められるのみならず、もともと、右坑木の輸送は従来三池労組がこれを担当してきたものを争議のため坑木商において代置したものではなく、多年一貫して坑木商が自らチヤーターした船舶を以てこれに当つて来たのであるから、仮令、本件輸送資材が新労組員の就労に供され間接的にはその就労を援助する結果となることがあつても、それは第三者と会社の有する営業の自由に由来するものとして已むを得ないものというべく、従つて、業者の右資材の輸送を以てスト破りの役割を演じたものとは到底いわれない。
尤も、会社は従来の経過に鑑み三池労組の妨害を予測し坑木商のチヤーターした昭福丸、蛭子丸、万栄丸の坑木船三隻と会社の貨物船大黒丸を護衛するため、坑木商阿比留虎夫の警備船松栄丸、住吉丸の外に警備船東丸、大島丸、運輸丸、康洋丸、旭丸の機帆船五隻を配し三池鉱業所資材課長渡辺芳達の乗船した東丸が総指揮船となつて輸送船団を結成した上、島原港を出港して南新開竪坑西岸壁に向つたものであるから、右輸送が会社と業者との共同行為により行われたものであることは否み得ない。しかし、会社の坑木買付と業者の坑木輸送が自由であること前叙のとおりであるから、右共同輸送を以てスト破りと目し得ないこと勿論である。尤も、右輸送に際し三池労組の妨害に備え会社側警備船五隻には新労組員二十数名宛乗船していたことは相違ないが、さればといつて該事実を以て直ちに右資材の輸送がスト破りの役割を演じたものとか、新労組の就労と同視してこれに対抗し得るものとは速断し難い。しかしまた、右資材の搬入陸揚が三池労組のストライキに不利な影響を及ばすことは明らかであるから、同労組が船団を組んでピケを張り、会社や業者に対し言論によつて説得し、団結による示威を以てその中止を要求し得ること勿論であるが、それはあくまで平和的説得の範囲内にとどまるべく、その限度を超えて暴行、脅迫もしくは威力を用いてその搬入を阻止することは当時における諸般の状況を考慮にいれても違法といわねばならない。
ところが、本件においては右坑木資材船が接岸しようとした際、多数のピケ船より投石がなされたことは一応これを措くとしても(そして会社側警備船からも投石されているが)、坑木商においてチヤーターした坑木船昭福丸または蛭子丸或は万栄丸が接岸せんとするや、ピケ船は至近距離より進路を遮つて接舷しロープをかけて航行を妨げ、また接岸している坑木船と岸壁の間に強いて割り込み岸壁より押離して押戻して行き、或はロープを以て坑木船を連繋した上曳航する等したものであるから、かかる行為は機帆船の衝突、損壊または転覆を誘発する万一の危険なきを保し難いものであり、ピケの正当性の限界を遙かに逸脱し違法な威力の行使に該当するものといわねばならない。
(三) 弁護人は、会社は最初から三池労組に説得の機会を与えず、しかもピケ船に対し消防ポンプを以て強力な放水を浴せ更に一斉投石したものであるから、三池労組がこれに対抗して会社側船舶に投石し或は坑木船の押出し、曳航等をしたのは正当防衛として違法性がないと主張する。
しかし、会社は争議の相手方として操業の自由を有し業者から従来の方法により坑木を買いつけてこれが搬入を受けることもその自由に属するものであるから、会社側がその搬入中止を説得する機会を必ず三池労組に与えなければならないものでないのは勿論、その説得に応じなければならないものでもなく、会社が三池労組に対し説得の機会を与えなかつたとしてもこれを非難するのは当らない。
のみならず、第五二回公判調書中証人渡辺芳達の、第五三回公判調書中証人石井秀吉、同平井朋吉の、第五四回公判調書中証人上田節男の各供述記載によれば、会社側輸送船団が西岸壁西方海上二、三百米に接近して一旦停船した際、ピケ船より資材の搬入を中止するよう呼びかけ、会社側船舶からもまた資材の搬入を妨害しないよう呼びかけ、かくて最初暫くの間双方マイクを以て相手方船舶に対し説得行為をした事実が認められる。
そして、判示第三の(一)及び(1)、(2)、(3)引用の各証拠によれば、会社側船団がピケ船の間隙を求め岸壁に向つて航行し、坑木船昭福丸次いで貨物船大黒丸と警備船大島丸その次に坑木船蛭子丸が陸揚のため岸壁に接岸した際、ピケ船より右各船舶に対し次々に投石し、一方会社側船舶もまたピケ船に投石しポンプで放水した事実は肯認し得るけれども、会社側船舶が機先を制してピケ船に投石し放水したものと断定する確証は存在しない。のみならず、仮りにこれを肯定し得るとしても、前掲各証拠によれば、組合側ピケ船団が予め多数の小石を船内に積込み或は各自携行して投石の準備を整えていた上、相手方の投石に対抗して一斉投石し、双方これを反覆継続したことは否み得ないから、ピケ船よりの投石が応戦的のものであつたとしても、それは投石合戦の渦中における一駒と見るのが相当であり、権利防衛のための巳むを得ない行為とはいい難く、まして、ピケ船第七杵島丸は坑木船蛭子丸に、ピケ船住吉丸は坑木船万栄丸にそれぞれ接舷して右両船に投石し乗組員をして船室内に退避するの巳むなきにいたらしめた上、その隙に乗じ両船をそれぞれロープで連繋して曳航したことが認められるから、三池労組側の投石や坑木船曳航等が正当防衛といわれないこと勿論である。
(四) 弁護人は、被告人渋谷勲が会社側船舶に乗り移つたのは会社側の投石をやめさせるためであつたから、正当の事由によるものというべく、故なく侵入したものではないと主張する。
しかし、第五二回公判調書中証人渡辺芳達の、第五三回公判調書中証人石井秀吉の、第五六回公判調書中証人宇土薫の各供述記載によれば、被告人渋谷は外二名と共に東丸に乗移つて来て、渡辺芳達、宇土薫等に近づきいきなり棍棒等を以て叩きかかつて来た事実が認められるから、同被告人が弁疏する如く投石をやめさせるため乗り移つたものとは認め難く、寧ろ暴行の目的を以て乱入したものといわねばならない。
第六法律の適用
被告人宮川睦男、同木村正隆、同野口一馬、同蛯谷武弘の各判示所為は刑法第二三四条第二三三条第六〇条罰金等臨時措置法第三条に当るから、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条第一〇条に則り犯情最も重い判示(1)の昭福丸に対する威力業務妨害罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において処断すべきところ、その情状について考察するに、三池争議がかくも大規模にして熾烈を極め因つて以て本件不祥事を誘発した所以のものは、会社において労組側の生死をかけた反対を押し切り一二〇〇名の指名解雇を強行したことに基因するものといい得るのみならず、争議の各段階における会社の組合に対する措置や態度にも批判の余地が多々あることに思をいたすとき、本件事犯に対して右被告人等の刑責を追求するのあまりその背景を看過することは事の真相を見失うの譏を免れないものというべく、また会社の措置に対抗して本件争議を指導し推進して来た被告人等としてみれば只管組合を愛し多数組合員の権利を擁護せんとする一念から、団結権によるピケの正当性の限度についての判断を誤り本件事犯を惹起するにいたつたことは諒察すべきものがないではない。しかしまた、被告人野口、同宮川、同蛯谷の三名は本件争議の最高責任者としてこれを指導して来た者であり、被告人木村は四山支部長として争議における枢要の地位にあつたものであり、四名自ら現地に臨んで争議の指揮に当つた上本件違法行為を惹起し、しかも威力の態様程度にも激しいもののあることに鑑みれば、その刑責必ずしも軽微であるとはいわれない。そこで、右被告人四名を各懲役八月に処し、刑法第二五条第一項を適用して右被告人等に対しいずれも一年間各刑の執行を猶予すべく、また、被告人渋谷勲の判示所為中艦船侵入の点は刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条に、各傷害の点は刑法第二〇四条第六〇条罰金等臨時措置法第三条に当るところ、艦船侵入と各傷害とはいずれも手段結果の関係にあるから刑法第五四条第一項後段第一〇条に従い結局最も重い渡辺芳達に対する傷害罪の刑を以て処断し、所定刑中懲役刑を選択しその刑期範囲内において同被告人を懲役二月に処し、刑法第二五条第一項に則り一年間右刑の執行を猶予すべく、訴訟費用は被告人宮川、同木村、同野口、同蛯谷につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文第一八二条を、被告人渋谷につき同法第一八一条第一項本文を適用して主文第四項のとおり被告人五名に負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 中村荘十郎 石川良雄 富田郁郎)